K2紹介
2023年2月6日

16年ひきこもりだった…打たれ弱い自分を『変えない』セミナー

編集部

「このきっかけに、賭けてみようかなと」

そう語るケンケンこと大喜多健さんの顔は、当時を思い返すかのように、どこか決意を感じさせるものだった。

大喜多さんが今立っているのはK2集中相談会の一環である当事者セミナー、その壇上である。

不登校をきっかけに10歳からおよそ16年間、人とのつながりを持たなかった大喜多さんが、今までの生活を振り返りながら語ってくれた言葉の一つ一つに、他のセミナー参加者はじっと耳を傾けている。

語り口こそ淡々としていたものの、社会との関わりを持たなくなってしまった者の孤独や生きづらさ、語りきれない切実さがそこにはあった。

大喜多さんがK2につながったのは2020年。その頃の身長と体重はそれぞれ162cm・45kg程度で、これは成人男性の平均値を下回っており、体重に至っては低体重の水準だ。

長年放置し続けた虫歯の影響で食事が満足に取れず、免疫力が低下したことで風邪をこじらせやすくなり、2018年の秋から2019年の冬にかけて時に数週間、時に一ヶ月以上体調を崩すこともあった。その影響で頬はやつれ、顔色も悪く、何をするにも体がついていかない。

当時の大喜多さんを知るK2スタッフが「今の落ち着いた表情とは似ても似つかない顔だった」と語ってくれたのも頷ける。

「年々体調が悪くなっているので、あまり長くないな、と思って」

体調不良の症状は多少落ち着いたものの、自身の体力・気力ともに限界に近づいていることを、大喜多さんもどこか悟っていたようだ。

しかし、長年積もった「自分は社会に必要とされていない」「自分は社会に居場所がない」という想いが足枷となり、抱え込んだ気持ちを家族に話す事すらできないまま、時間だけが過ぎていく。

転機は2020年3月19日、愛用のパソコンが壊れてしまったことだ。時間を持て余すようになった大喜多さんに、これまでどこか考えないようにしてきた自分の現状と向き合う機会が訪れる。

家族と同じ部屋で食事を取らず、自分の感情を殺しながら生きる日々。

自分一人では生活もままならず、自らの尊厳を保てないほどの無力感。

このままではいけないと思う自分と、このままでいたいと感じる自分。

様々な葛藤に襲われた一方で、皮肉にもその焦りや苦しみが大喜多さんの背中を押したのかもしれない。

長い長い1週間が過ぎ、2020年3月26日。

「外に出るのは何年ぶりだろうか」とぼんやり考えながら、大喜多さんは自宅の玄関を開け、その日の夕方にはK2ハウス「広地寮」の前に立っていた。

本人には後から知らされたことだが、大喜多さんのご両親は2012年頃からK2の相談会に参加し続けており、大喜多さんの将来について相談を重ねていた。

当時は言葉にならなかったが、大喜多さんも「家族関係が密着していて自立を妨げている」と感じており、家族から離れ、共同生活寮という新しい環境で生活リズムを取り戻すことになったのである。

「K2につながる前の自分にとっては、家族が大きな支えだった」と語る大喜多さんだが、家族とK2のつながりが結果的に、大喜多さんと社会との関わりを取り戻すきっかけになったのは間違いない。

「ずっとひきこもっていると、買い物の仕方すら忘れていく」

長年暮らした自宅を離れ、K2の共同生活寮で過ごすことになった大喜多さん。

寮に来てからしばらくは昼夜逆転の影響に悩まされつつも、寮長の山本正登さんに付き添われながら「250にこまる食堂」で朝食を取る。

午後は「南部ユースプラザ」で相談やカウンセリングを挟みつつ、貸し出された本を読んでいるうちに時間が過ぎていく。

夕食は共同生活寮に住むK2スタッフや他の寮生と一緒に作り、同じ食卓を囲む。

寮で生活しているのは大喜多さんだけではない。全国から様々な悩みを抱えた若者がK2とつながり寝食を共にしている。

大喜多さんも10歳以上年齢の離れたメンバーと相部屋で過ごし、コミュニケーションを取りながら関係性を築いていく。

自らと異なる存在との生活を通して、多様性や社会性というものを頭で理解するだけでなく、感覚的に身体で覚えていくのだ。

生活環境の変化がもたらしたものは大きく、虫歯の治療や低下した体力の回復に努め、体重も年齢相応にまで増加し、日焼けの跡が目に見えるほど外出するようになった。

部屋の掃除・朝のゴミ出し・服の洗濯・消耗品の補充など、日々の暮らしの中で様々な経験を積み、生活スキルを身に付けていく毎日。

「最初は寮生活に馴染めるか不安だったが、やっているうちにできるようになった」と何気なく語っていたが、16年間ほとんど人と関わらない期間を経た上でのその変化には驚くほかない。

寮生活に馴染んできた大喜多さんは、不登校時代の学び直しも兼ねて、勉強にも取り組むようになった。

元々勉強が得意だったこともあり、入学式以降一度も通わなかったフリースクールの高校を卒業後、8年のブランクを経て、大学に進学したのである。

不登校によって失われた学生生活。現在ではその一端を取り戻すかのように学業に勤しんでいる。

K2とつながりを持ってからおよそ八ヶ月後の2020年12月、目に見えて活動的になった大喜多さんは「250にこまる食堂」で働くことになり、そこで出会った仲間たちとも交流を深めていく。

ニックネームである「ケンケン」は寮長の山本さんから提案されたものだったが、他のスタッフやメンバーから名字が忘れ去られるほどしっくり来ており、大喜多さんにとって馴染み深いものになっている。

誕生日には、スタッフとメンバーの「ケンケンおめでとう!」の一言が嵐のように飛び交う。この世に生まれた特別な日として、誕生日を盛大に祝うK2ならではの習慣だが、大喜多さんもまんざらではなさそうだ。

また、大喜多さんはK2の自主事業である「M6 MUSICAL ACT」にも加わり、2年連続で演者として参加した。

M6 MUSICAL ACTはミュージカル発表という未知なる体験を通して、社会に出るきっかけを作る若者支援の一環としてのプロジェクトである。

もっとも「ミュージカルしないミュージカル」と題されるだけあって、一癖も二癖もあるスタッフやメンバーと関わることになり、発表時期である年末は予定に振り回されることも多い。

「ここまで来ると色々吹っ切れた」とやや苦笑いしていた大喜多さんだが、歌やダンスの練習、大道具・小道具・衣装の制作、発表場所の確保や演者のスケジュール調整など、ミュージカル制作において必要な要素は多岐にわたる。

人の思惑が入り乱れる場で起こった様々な出来事と、仲間と一緒に事を成し遂げたという実感が、大喜多さんにとって貴重な経験になったのは間違いない。

「何もなければ、そのまま引きこもっていた」

K2につながることで起きた変化がある一方で、大喜多さんは打たれ弱く傷つきやすい、加えて面倒くさがりな自らの性質を『K2に来てからも変化しなかったこと』として挙げている。

例えば大学の課題の提出が遅れたり、作文が苦手なこともあって、レポートに着手するのが期限ギリギリ、というパターンは何度もあった。

現在でも夜の方が活動的になりがちで、長らく続いた昼夜逆転の生活の影響が完全には抜けきっていない。過集中の傾向も相まって夜更かしが続き、やるべきことが抜け落ちていることもしばしばだ。

それでも心の切り替えや精神的な疲弊からの立ち直りが早くなり、自分の苦手なことは時間をかけて行うようにして、自分の性質と上手く折り合いを付けながら生活を成り立たせている。

「自分の殻に閉じこもっていた若者が、仲間と出会ったことで見違えるように成長し、充実した毎日を送れるようになった」。

そういった夢見がちなストーリーに昇華することなく、K2につながって起きた変化は着実な一歩ではあるが、次の一歩を踏み出すための準備に過ぎないことを、大喜多さんは誰より理解しているようだった。

「K2は通過点ではなく到着点であり、出発点でもある」

K2という居場所が本人の助けとなることはあっても、行き先は自分で考え、自分で決めなければならないのだ。

生きづらさを抱えた一人の若者の人生はこれからも続いていく。

K2との縁がその支えとなり『支縁』の輪が広がっていくことを願って止まない。

残念だったな、ここはK2マガジンだ!

と、めちゃくちゃ堅苦しい書き方をしてきたが、K2には「つながっている間に、取り巻く環境がちょっとずつ変わって、何とかなっていたりする」「行き詰まったら・・・生活環境を変える・生活習慣を変える・人間関係を変える」みたいな思考があって、その仕掛けに乗っちゃえば、概ね活動的になってしまうということだったりする。

そんなK2の愉快なスタッフ達が集まる相談会に君も来てみないか!? というのがこの記事の言いたいことなので、横浜近辺に住んでいる人はJR京浜東北線の「根岸」駅付近にあるモンビルを覗いてみてほしい。

また直接来るのが難しい人・開催日を過ぎてしまった場合は、スマホでも動くメタバース『Meta Life』で24時間開放している『K2クラブハウス』にアクセスするのもオススメだ。

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君の参加を心待ちにしている!

編集部

K2インターナショナルグループから放たれた現代社会への刺客。書類上は七人で構成されていることになっているが、実態は謎に包まれている。組織のモットーは『節度ある暴走機関車』。