学校に行かない生き方
2023年8月28日

【イベントレポート】7/19 学校に行かない生き方って知ってる?#7

編集部

『学校へ行かない生き方』第7回のゲストは、白水崇真子(しろうず すまこ)さん。

今回は30年に渡って就労支援に携わり続けてきた白水さんが感じる『若者を取り巻く環境の変化』を中心に、配信のハイライトをお届けします。

『働きたいけど働けない人達』がどうすれば働けるようになるのか

【菊澤さん】
先程の自己紹介の中でもあったんですけど、学芸員になろうと思って地元の福岡から関西の大学まで来られたのに、なんでこの若者支援の世界に入ったかってところ、詳しく教えてもらってもいいですか?

【白水さん】
元々絵画が好きだったんで、画家にでもなろうかと思ってたんだけど、やっぱり食べていけないな、と。

それで、絵に携われる仕事の一環として学芸員っていうのを考えたんだけど、 小さい時から専業主婦だった母親を見てて、『自分で稼げないこと』の不自由さや悲しさみたいなものを目の当たりにしてたんですよね。

当時から女性全般に対する差別はあったし、やっぱり働き続けるのが難しい性でもある。何より自分も女性に生まれたわけだから、自分自身が応援されたい・同じ悩みを持つ人を応援したいって気持ちが強かった。

大学時代に人権活動と出会った時にのめり込んだのも、『働きたいけど働けない人達』がどうすれば働けるようになるのかっていう意識がどこかにあって、そういう人達を支援していきたいっていうのが理由だったんでしょうね。

で、その人権活動を通じて知り合った人達から『職業訓練センター』っていうのが出来る時に声をかけてもらって、そこで働きたいと思ったから就職した、っていうのが若者支援に関わるようになった直接のきっかけだと思いますね。

【菊澤さん】
その当時、どういう問題とか相談が多かったんですか?

【白水さん】
そうですね。1991年に就職したけど、当時の『就職困難者』って呼ばれてる人たちっていうのは55歳以上の中高年、今シニアって言われてる人達。

それと在日韓国人・被差別部落の人達・シングルマザー、あと障害者の人達が主な就労困難者って呼ばれていたので、その人達向けの職業プログラムとか、仕事の機会創出みたいなことを主にやってたんですけど、2000年頃から若者たちがその職業訓練センターに現れ始めた、っていう経緯があったかな。

【菊澤さん】
じゃあ最初の頃は、若者っていうのも全然いなかったってことや。

【白水さん】
うん。日本独特の仕組みだけど、労働現場においては若者っていうのは強者であって、学校出て真っ白い状態で来てくれたら会社が教育するよっていう時代だったし、若者ってのが1番歓迎される対象だったから就労困難者とは呼ばれてなかった。

【菊澤さん】
本来なら働き口もあって強者と呼ばれるその若者が、2000年ぐらいになって突然来始めた時ってどんな感じだった?

【白水さん】
そうですね。引きこもり・社会的ひきこもりっていう言葉が出てきて、厚労省がガイドラインを出したのが2002年。

引きこもり以外にも『不登校』とか『ニート』っていうキーワードをよく見るようになって、社会問題化した頃と被ってるよね。

【菊澤さん】
それじゃあ『今までの対象者とはなんか違うな』って驚いたこととかあったりします?

【白水さん】
うーん、『学校に行きたくない』ってどういうことなのか、私自身があんまりわからなかったし、外に出たくないって言われても『若くて1番楽しい時期なのに、なんでなんかな』とか、その気持ちを想像することが難しかった覚えがありますね。

どんな支援策を作れば、 彼らが望む人生になるかなっていうのは、結構真剣に悩んだね。それまでの職業訓練のプログラムでは全然無理だったから。

【菊澤さん】
確かに不登校や引きこもりっていう言葉が出たところで『そういう人達がいるんや』みたいな時代だったもんね。

【白水さん】
当時は生活支援・就労支援みたいな領域じゃなくて、犯罪とリンクして出てきたみたいなところだったから、自分は経験してないっていうか、周りにもノウハウを持っている人はいなかった。

役所にも窓口がないし、どうやってサポートしていくのかっていう状態。

【菊澤さん】
窓口なんてないやろね、うん。

【白水さん】
まだNPOもなかったし、本当に受け皿が全然ない時代だったから。

【菊澤さん】
考えたら、今すごいよね。役所に窓口はあるし、相談しようと思ったらNPOとか民間組織がどこにでもあるし、おまけに無料で聞けるし。そう考えたら、この数十年でね。

【白水さん】
そうやね。特にこの20年で大分変わった。

【菊澤さん】
私らが初めてこの仕事に携わった時は、不登校とか引きこもりとか発達障害とかって言葉が全然なかったのが、今では当たり前になって。

『なんだろこの人たちは』と思ってた事柄に色々な名前がついて、どんどん認知が広がってきた気がする。

【白水さん】
ただ、じゃあ不登校とかひきこもりが減ってるのかって言ったら、全然減ってないからね。

色々窓口があったり支援策が打たれてはいるけど、 解決してるのかっていうとそうは言えないよね、って感じはあります。

人に何かできると思うな!

【菊澤さん】
私、気になってたのが、白水さんが30年間こういう仕事ずっとされてて、支援してる側の人にも色々会ってると思うねんけど、この人面白かったなとか、この人めっちゃ印象に残ってるなっていう人、いたりします?

【白水さん】
うーん、みんな変な人ばっかり!

【菊澤さん】
確かに変な人多い!

【白水さん】
変な人ばっかりやけど、やっぱりK2の金森さんはその時でも群を抜いて面白かった。名言集を作るとしたら、金森さんかな。

【菊澤さん】
えー、そうなんや。

【白水さん】
そう。私、ずっと金森さんに言われてた言葉で、今でもお守りみたいに持ってる言葉があって。

私がK2で仕事してた時に『この6ヶ月の間になんとかせなあかん』って思いながら焦って動いてたから、なおさら印象に残った部分もあると思うけど、『人に何かできると思うな!』って、言われたんですよ。

『いや支援業じゃん!? なんもできひんと思えってどういうこと!? なんかせなあかんのんちゃうん!?』って当時思ってたんですけど。

今考えれば『何も出来ないと思いながら、人として対峙しろ』っていうことやったんやろうなっていう。

あとは『支援業で1番の贅沢っていうのは、色々な大人が関わることや』っていうのも記憶に残ってますね。

もちろん秀逸なプログラムとかもあるかもしれないけど、支援する側にいる『変な大人』が関わることで、こんな大人でも生きていけるとか、こんな人生でも楽しそうやとか、そういうのを見せるっていうことが、1番贅沢な支援なんだって。

他にも『一緒に暮らす以上の支援はないんやで』っていうのもあったかな。社会福祉の業界って『支援者が自分の仕事を作るために支援する』みたいな場面って結構あって、いかにも専門家でござい、みたいな感じで『こんな支援をしました』ってしんどい自慢とかする人も多い。

だけど、誰のための仕事・何のための支援なのかっていう視点を忘れてはいけないし、一緒に暮らしていく『共同生活支援』が多分1番大変で、だからこそ1番の支援なんだなっていまだに思います。

通所だとやっぱり週に1回とか、お互い『1時間だけの顔』でやり過ごせてしまうけど、共同生活ってそうはいかなくて、自分が若者たちに投げかけた言葉とか起こしたアクションがどういう影響を与えたのかっていうのが、もろに見えてしまう。

接する時間が短いと腫れ物に触るような対応しかできないこともあるし、相手が来なくなっちゃうと支援できなくなるから、なかなかコアな部分に触るってのが難しいんだけど、共同生活だとお互い逃げられないんだよね。

だからある意味本音のガチ喧嘩もできちゃうし、若者のリアルや支援の表も裏も見ながら、裸一貫で人として対峙した経験があったからこそ、現代の色々な事情を抱えたケースの若者が来ても、なんとかなるというか、ある程度見立てがつくようになった。

私も今フリーランスで、生活困窮とか多重困難を抱えている人たちの支援をやらしてもらってるけど、K2にいたことでどんなケースが来ても動じないっていうか、『おー、来てくれたでー』みたいなフラットな姿勢で受けいれるようになったかな。

それはやっぱりK2での一年間があったからだと思いますね。

長い人生におけるターニングポイント

【菊澤さん】
長年この業界に関わってると、辞めていく人も結構多かったり、燃え尽きちゃったりする人がいると思うけど、【白水さん】の原動力というか、若者支援をずっとやり続けられる理由って何かな?

【白水さん】
うーん、支援の場に来る人って辛い思いを抱えながら、それこそ『毎日が苦しい』『人生がうまくいかない』とか思ってる人達と一緒に色々なことに取り組んだりするじゃないですか。

その中で『人生捨てたもんじゃないな』とか『これから先は自分がいい方向に転んでいけるんじゃないかな』って、前に進んでいこうとする瞬間に立ち会えるのはやっぱりすごく嬉しい。

例えばK2とかだと、共同生活最初の1ヶ月でガリガリだった子がふっくらしてきたり、すっごいぽってりしてた人がちょっと精悍な青年っぽくなったり、 目も虚ろだったのがしっかりしてきたり、なんか別人みたいにならない?

就活する勇気が持てなくてなかなか動けなかったけど、色々な人との繋がりを通して『就職決まりました』ってお金稼いでなんかお礼を持ってきたり、突然『結婚しました!』とか報告があって『ああ、大人になってきたな』って感じられると、本当によかったよねってなる。

特に若者支援って、その人の長い人生におけるターニングポイントになった場面に立ち会えることが多くて、そういうのは他の仕事だとなかなか味わえない喜びだと思いますね。

【菊澤さん】
なるほどー。でも、若者支援をずっとやり続けてきて、なんか別の仕事したいとか思うことないの? 『もういいかな』とか『他のことしたいな』とか。

【白水さん】
えー、他のことしたいって思ったことはないかな。ちょっと休みたいなっていうのはあったけど他の仕事したいって言われたら、ないか? ないな。ないわ!

【菊澤さん】
えーすご。この仕事にずっと面白みを感じてるってことなんやろうか。

【白水さん】
なんやろうね。うん。

【菊澤さん】
それにしても、色んな人とお会いさせてもらってるけど30年、これだけずっとやり続けてる人って、そうそういないよね。

【白水さん】
でも私の履歴書って、もう職歴に入りきらへんぐらい職場は変わってんねんで。

【菊澤さん】
でも、やってること変わらんもんね。

【白水さん】
まあやってることというか、確かに文脈は一緒かも。

NPOセンターとかに勤めてた時は、若者を直接支援するんじゃなくて、若者が社会と切り離されないよう包摂してくれる地域や雇ってくれる企業さんを応援する仕事をしてた時期もあったし。

【菊澤さん】
だから直接支援一本じゃなくて、若者支援に携わってる全ての取り組み、若者へのエールにつながることを色々やってるってことになるのかな。

【白水さん】
そうだね、経営者やってみたり、マネージメントばっかりやってた時期もあるし。

だからやってることは色々違うけど、若者支援を通して『働きたいけど働けない人達』をなんとか働けるようにっていう、 根本にある気持ちは変わってないっていう感じかな。

代わりのやり方はいくらでもある

【菊澤さん】
じゃ後は、実際うちの関係者もそうですけど、今もなかなか前に進めない若者とかもこの対談を聞いてくれてると思うんですけど、そういう若者に伝えたいことってあったりしますか?

【白水さん】
そうですね。私、ずっと就労支援してますけど、職業における能力が1番伸びるのは25歳って言われてるんですよ。なので、その周辺の年齢で何もしないっていうのは、すっごくもったいない。

『失敗するかも』と思ってなかなか踏み出せないかもしれんけど、何にもしないより失敗する方がいっぱい学びがあるのは間違いない。周りにサポートしたい大人達がたくさんいるので、上手に頼ってどんどん失敗してください。

で、もし万が一死にたくなったら、もう逃げよう!

【菊澤さん】
うん。よく言ってるね。

【白水さん】
死にたくなってまでやらなあかん仕事とか学校とかないんで。もし、そんな気持ちになったら、逃げよう。

逃げてもいいから、とりあえずやってみるっていうのが大事。

せっかく自由に使える時間があるのに、何もしないのはもったいないから、まずはやってほしい。失敗するかもしれんけど、ちょっとだけやってみてほしい。そういう風に思います。

【菊澤さん】
K2じゃなくても、身の回りにあるどこかに繋がってくれたらね。失敗しても絶対サポートしてくれる大人が周りにいて、安心して失敗できるっていうのは大事ですよね。

【白水さん】
そうなんですよね。

【菊澤さん】
今回のイベント、この対談のタイトルって『学校へ行かない生き方って知ってる?』なんですけど、今日話をできるのがすごい嬉しくって。

こんな聞きたいことをひたすら聞いて、本来の話とはもう全然違うような感じになってしまいましたけど、個人的にめっちゃ楽しかった。

【白水さん】
そうですね。まあ、学校はどっちでもいいんじゃないですか。

もちろん卒業してないと就職で不利な部分があるのは確かなんですけど、卒業資格だけ取れればよくて、学校そのものに絶対行かなあかんっていうものではないと思うけどね。

【菊澤さん】
学校に行くのも自分たちがこれから働くための1個の手段やからね。

高校や大学を出なかったとしても、自分たちが生きていくために働けて、本当に楽しいと思える居場所があるならそれに越したことはないし、無理をして体壊したら意味ないよっていう。

【白水さん】 

死にたくなるような学校には行かなくていいと思います。その代わりのやり方はいくらでもあるし、大人がなんぼでも情報持ってるんで聞きに来てください。

終わりに

この他にも、自身のアダルトチルドレンとしての傾向や自分を取り巻く社会への複雑な思い、横浜市も含めた行政と民間の関係性や連携して事業に取り組む際の奥深さなど、目から鱗のテーマがたくさんありました。

時代ごとの移り変わりが激しい若者支援の現場に身を置き続ける白水さん。その後ろにいるであろう多くの支援者の方々の奮闘が、誰かの希望につながることを祈っています。

編集部

K2インターナショナルグループから放たれた現代社会への刺客。書類上は七人で構成されていることになっているが、実態は謎に包まれている。組織のモットーは『節度ある暴走機関車』。