ポンコツ仕事図鑑 vol.0 働くはケア
~とある人の「はたらくライフストーリー」~
世の中仕事でできている。
大人になってからこのかた働く人生は続く。ライフ・イズ・ゴーオンときたもんだ。
生きるためにお金も必要。しかしお金だけでも生きてはいけぬ。
弾けたバブル、ロスジェネからZ世代。
気付けば世の中、働きたいけど、働きづらい人、増えてませんか?
K2には若者の自立を目指し、共に暮らし働く共同生活の35年の実践がある。
その専門知のパターンランゲージ『K2語録』にはこんな言葉がある。
他者を思いやる仕事が K2だ
K2語録
働く(ハタラク)事は生産ではない。
ハタ(周り)をラク(楽 楽しい)にする ケアだ。
『働く事は生産ではない。ハタをラクにする ケアだ』
誰かのために、何かの為に自分が為すことがある。
そのことで周囲の人が、環境が楽しくなったり、楽ができたりする。認められたり。
ケアするように働く。ケアを再生産していくような働きかた。
社会に自分への承認があり、居場所があり、なにか自分にできることがある。
そんな働くなら、まんざらではないかも。そう思えてきたら…
ハタラクには悲喜こもごも、だからこそ味わいがある。
大変だけど、おかしみがある。
でも、だったら…自分でもやれるかな?と思える。
そんな人の話を聞いてみました。
ポンコツだけど罰ゲームじゃない、ハタラクの滋味をご賞味あれ…
ポンコツ仕事図鑑#1バブリー携帯ショップで流したNさんの涙…の巻!
記念すべき第1回は、ポンコツストーリーの宝庫、Nさんの仕事の経験についてお話を聞いてみたいと思います。
時は平成初頭、まだまだ華やかなりしバブルの香りが世間に満ちていた頃。
東京の片隅の仕事場でNさんは、目をうるうるさせながら泣いていた…。
派遣で某電話会社のショップで働いてたことがあって。
その頃急に携帯電話が普及した時代で、まだほとんどの人は持ってなくて。
持ってる人はほぼヤ〇ザ。だから客層がもう怖い怖い。
もうね、びびりっぱなし。
もうとにかくクレーム。ほぼクレーム!
「この機械、ここ故障してるからこの部品を変えてくれ」
「すいません、部品が入るの何か月待ちです」って言ったら
「なら売るんじゃねぇ!」バーン!!(机を叩く音)
「ヒー!!」みたいな。もう大変だった!
それ。1990年代の初め頃?
そう、携帯はフリップオープンやスライド式で。一番売れるのがシルバー。そんな時代。
携帯つっても、ほとんどの人はみんな、なんか、こう肩から下げて。
あったね!ショルダー式のやつ。
もっと会社の社長さんとかは、高級な車載式を使ってたり。
あとは、ヤク〇、あっちの世界の方たちとか。
私はM田店だったけど、上には上があって。
そんなM田店の慰めの言葉は…
「新横浜はもっとすごい」(爆)
それでも恐ろしく忙しくて。朝8時ぐらいから入って、終電ギリギリまで働いてた。そのぐらい電話が鳴りやまない。あと、お客さんがいつも100人待ちとかで。当時D〇c〇m〇のお店も少なくて。
で、新横浜はとにかくもっとすごいらしいと聞いていた。もっと反社の人たちばっかりだったらしい。
M田店はわりとまだ社長さんのお客さんが多いんだけど、それでも携帯持ってる人たちってのはそもそもイケイケだから、とにかく全て上からの物言いなのよ。
金のネックレスジャラジャラ付けたり、けたたましい柄シャツ着たり?
そう、当たり前みたいに。ちらっと袖口から恐ろしいものが見えちゃったり…
そういうお方たち、話は通じるの?
話は通じる。だけどすごいのが、個別ブースになっているじゃない。で、私ほんとにお客さんの引きが悪くって。「あんたはいつも貧乏くじ」って言われるぐらい、すごい怖い人にもうほんとにいつも当たっちゃうっていう。
ところが、すごいのが、その店の中で恋が生まれることもいっぱいあって。
かたや私、お客さんに脅されて、もう店長に泣きながら
「あの怖いお客さん、この部品がないと、3日後にまた来るって言っているんですよ~なんとかしてください~えーん💦」
「でも、それこの先1か月入らないよ~!😭」
みたいなこと言ってるその裏でなぜか恋が!?
「帰り間際に、あの人となんか電話番号交換しちゃった♪」
キレイなお姉ちゃんたちがね。怖いお兄さんたちにナンパされてた。
あたしが泣いている横であんた何やってんのよ、そっちで!みたいな?
そう、私はほぼうえーんと泣きながらだったけど、人によっては華のある仕事でもあったみたい。
携帯電話ショップの仕事は何年ぐらいでした?
2年ぐらいやったかな。だって、お給料めちゃくちゃいいわけですよ。
時給でいうとどれぐらいなんです?
当時で派遣で1300円ぐらいだったから、すっごい良かった。
自分も1人暮らし始めた時だったから、もうこれはなかなかやめられないって思って。
あと怖いんだけど、なんか、怖いもの見たさもあった。
危険を感じることはなかったの?
いや、日々危険だって。それこそもう閉店してシャッター閉めてんのに
「おい、いるだろ!?」シャッターバーン!!蹴り続けるみたいな。
すごい怖いの。「やだ、もうちょっと電気消そうよ…」みたいな。
「いるのはわかってんだよ!!」
そうそうそう「開けろっつってんだよ」みたいな、ほんとに。
当時まだ携帯電話普及してないから、派遣社員10数名と社員が3人ぐらいしかいなくて。
だから専門の人が少ないから大変だったけど、面白かったね。
ヤバすぎるけど、刺激的な仕事だね。怖いもの見たさもあったんじゃないかな。そろそろ1番ヤバイお客様ベスト3とかで、締めません?
ヤベエやつはやっぱりもう、シャッターガンガン蹴る人だね。
あと、なんだろう、映画でしか見たことのない衣装っていうの?
上下紫のスーツみたいなのに、真っ白いとんがった靴履いて、開襟シャツみたいなの着て、ブレスレットとか念珠とかゴロゴロ、ネックレスジャラジャラジャラジャラして。
で、「100人待ち」って表示出てるのに、肩で風切って、番号なんて目もくれずにトップを切って受付に押し被さって来る。
「あの~お客様、あの~他のお客様が待ってるんで」って言っても
「100人なんて待てるわけないだろ、ふざけんな!!」
バーン!!みたいな話になり。
そういうお客さん、言うこと聞いてくれるの?
全然聞いてくれないの!
だからその人たちがもう、なぜか私の周りに集まって来るの。怖い人から順に。もう怖くて怖くて。
「今は100人待ちで…あっ、、お客様、お客様!?」みたいな。
バーン!とかガーン!とか番号待ちシステムのディスプレイ蹴って実力行使されちゃったりして「ヒー!」となって。
「修理?3日で用意しろ!!また3日後に来るからな!!」ってバンバン机叩きながら一方的に言われて、
「うぇーん 店長、3日!3日のうちにこれお願いします!!」って泣いてるのに。
片やブースのすぐ隣は、電話番号交換とかしちゃって恋の花咲いちゃってるし。
どういう流れ。これ?みたいな。怖いお客様、全員平等に振り分けてほしい。
納品無理だった時はどうしてたの?
それはやっぱり店長がなんとかしてくれんの。なんとか。
やっぱり物理的に壊しちゃったりしてるわけ。
多分。使い方もよくわかってなくて
「お客さん、それやっちゃうときっと壊れます」みたいな確実にダメージになることやっちゃってて。
しかも修理出して返って来るのを待つというより、
「今すぐ使えるやつを出せ!!」みたいな。
もう修理っていう概念がないわけよ。
だからその時から私、携帯電話ってずっと恐ろしいものだって。
え!?じゃあ去年までずっとガラケーだったのってそれが影響してる?
てかガラケーすら私ほんとに長い間持ってなかったの、そう。
でもやっぱり、仕事上周囲に迷惑をかけることになって。それでガラケーもやっと持ったぐらいの感じなんだよ。
え~~~!!(絶句)
Nさんの話、めっちゃオモシロく聞いてしまったのですが、相当トラウマになっていたらしく。その後の人生にも影響を与えるとは…携帯電話超怖い!(そうじゃなくてお客が怖かった!)というお話でした。
あなたのはたらくにまつわる、あんな話やこんな話を、記事にしてみませんか?
かんたんな1時間程度のインタビューで、記事化させて頂きます。
お気軽にK2LINEまでお声がけください。歓迎します。
次回はまたまたNさんが、○○の○○を止めてしまった…!というPWS(ポンコツワークストーリー)です。乞うご期待!