仕事図鑑
2025年11月12日

元大手国際線航空会社CA・YUIさんに聞く“人を見る”仕事の原点

Kaya

いつもびしっと背筋を伸ばし、颯爽と業務をこなしているYUIさん。
K2で一緒に働くようになって、もう10年以上になります。

現場では誰よりも落ち着いていて、四隅をきっちりと抑える仕事ぶり。
迷ったときには「YUIさんに聞いてみよう!」と思うような存在です。

そんなYUIさん、実は元大手国際線航空会社の客室乗務員。しかもそのキャリアは35年。
1975年入社、まだ航空会社が半官半民だった時代から、民営化、そしてあの大きな墜落事故、 さらに航空業界の変化まですべてを見てきた方です。

そもそも同じ会社に35年も勤めた人というだけでもすごすぎるのに、
その後、まったく異業種であるK2で働いているという異色の経歴。
今回は、その長いキャリアと、YUIさんの“人を見る仕事”の原点についてお話を伺いました。

本当はもっと踏み込んで聞きたかったのですが、そこは守秘義務があるそうです(笑)。

KAYA: 入社は1975年だったんですよね。当時はどんな雰囲気だったんですか?

YUI: そうですね。会社がまだ半官半民で、“日本の翼”と呼ばれていた時代です。
今ほど海外旅行も身近ではなく、客層もまったく違いました。
国の行事や外交関係の方をお乗せすることも多く、
客室乗務員はいわば「日本の顔」としての役割もありました。

KAYA: いまよりずっと格式のある仕事だったんですね。

YUI: そういう面もありましたね。
華やかに見える仕事でしたが、その裏では訓練がとても厳しかったんです。

■ 「泣いても笑ってもやるしかなかった」訓練の日々

KAYA: どんな訓練だったのですか?

YUI: 入社後3か月間はびっしりでした。
当たり前のビジネスマナーから始まり、緊急脱出、応急手当、消火、気象学、語学。
それからワインや料理の知識まで。
プールでは救命胴衣をつけてボートに乗ったり、
滑り台を使った脱出訓練もあって、全員が実際に滑るんですよ。

もちろん訓練や講習はその後も定期的にありました。

KAYA: 想像以上ですね。CAって華やかな仕事という印象でしたが…。

YUI: 空の上では、何が起きても逃げ場がないですから。
だからこそ、まず“守る力”を身につけないといけません。
笑顔も大切ですが、お客様の安全が第一。
保安要員としての意識が強く、“お客様をもてなす前に、まず守る”。
その考え方は今も変わっていませんね。

■ 着物でのサービス、“日本”を背負う仕事

KAYA: 写真を見ましたけど、ファーストクラスでは着物でサービスされていたんですよね!

YUI: そうなんです。あの狭いトイレで着替えるんですよ(笑)。
とはいえ、セパレート式の着物で、帯はマジックテープ。
見た目はきちんとした和服ですが、動きやすく工夫されていました。

KAYA: 想像するだけで大変です。

YUI: 慣れればあっという間ですよ(笑)。
外国のお客様からは「本当に着物で接客するんですね」と驚かれました。
“日本らしさ”をまっすぐに伝える仕事だったと思います。

制服も森英恵さんのデザインで、帽子と手袋は必須。
身につけると自然に背筋が伸びましたね。

KAYA: 今も、多少のことではびくともしないくらい、
いつもびしっと背筋が伸びてますけどね!

YUI: 入社当時の制服、実はミニスカートだったんです。 今見たら笑っちゃうくらいの丈でしたね。時代が時代ですから(笑)。

KAYA: (写真を確認)ほ、ほんとだ~~!短い…!

YUI: ええ。ジャンボ機の2階に上がるのは螺旋階段で、 その下に好んで座るお客様もいらっしゃいました。

KAYA: なるほど…いわゆる“見上げスポット”ですね(苦笑)。

YUI: そうそう。でもCAはそんなのいちいち気にしていられません。
背筋を伸ばして、堂々と上るだけ。 「見たきゃ見なさい、私は仕事中です」っていう感じでした(笑)。 

KAYA: 潔いい! まさに“昭和の空を翔ける女たち”。

YUI: あの頃は、スカート丈ひとつにも時代の勢いがありました。

KAYA: 螺旋階段の上といえば…当時のファーストクラスは特別な空間だったと伺いました。

YUI: そうですね。ジャンボ機の2階が広いラウンジになっていて、今の様な座席ベースとはまったく違いました。 政治家や経済人の方がワインを片手に語り合う、いわば“空の社交場”でしたね。

KAYA: まるで映画のワンシーンのようです。まあ今のファーストクラスも未知の世界ですが…。

YUI: 私たちは常に緊張感がありました。
ファーストクラスを担当するには試験が必要なんです。
ワインやスピリッツ、英語表現、マナーの知識。 そして「お客様に頼まれたら負け」という言葉があって、 お客様が口に出す前に察して動くこと、それが一人前の証でした。

KAYA: なるほど、“察する力”ですね。

YUI: はい。日本的ですが、とても実践的な考え方でした。
観察力や空気を読む力は、今の仕事にもつながっていると思います。

KAYA: ふむふむ(メモ)。

KAYA: 1987年の民営化は大きな転換点だったと思いますが。

YUI: そうですね。民営化で競争が始まり、“国の翼”から“企業のサービス”へと変わりました。
効率化が進み、人員が減り、同じ人数で倍の仕事をするようになりました。

KAYA: 大変そうです…。

YUI: でもその分、チームワークは強くなりました。
一人で三人分動くような時代でしたが、 「大丈夫?」と声をかけ合う文化が生まれたのもその頃です。 大変な時代でしたが、当時の同僚との強い絆は今でも忘れません。

KAYA: 当時の教育で印象に残っている言葉はありますか?

YUI: “Smile, but with dignity.”という言葉です。
品格ある微笑み、という意味なんです。
笑うことは大切ですが、落ち着いて見せることも同じくらい大切でした。

KAYA: その言葉、格好良すぎませんか。YUIさんの微笑みはまさにそれです!

YUI: そうですかね(笑)。
“いつでも冷静でいなさい”という意味でもありました。
笑顔と微笑みは違いますが、どちらもお客様を安心させるためのものですね。

KAYA: なるほど、経験と教えが今のYUIさんをつくっているんですね。

KAYA: 今はK2で若者の相談や就労支援を担当されていますが、
JAL時代の経験が活きていると感じることはありますか?

YUI: ありますね。CAの時は“先回りして動く”ことが大切でしたが、 今は“先回りしすぎない”ことを意識しています。
相手の様子を見ながら、本人が動き出すのを待つ。
でも結局は、どちらも“人を見る仕事”なんです。

KAYA: 「察する力」は、今の若者支援にも通じますね。

YUI: そう思います。ご相談に来られる方には、言葉にしないサインが多いです。
でも、少しの変化に気づくことで関係が深まる。
“今日はちょっと違うな”って気づけたら、そこから話が始まります。

KAYA: 今でも飛行機に乗ると、ついCA目線になりますか?

YUI: なります(笑)。つい安全確認をしたくなりますね。
でもそれは悪い癖ではなく、“人を見て動く”という姿勢の表れだと思っています。

KAYA: ファーストクラスの支援ですね!

YUI: そんな大げさなものではありません(笑)。 でも、どんな仕事でも最後は“人”なんです。 空でも地上でも、それは変わらないと思います。

空の上でも、K2の現場でも。
YUIさんの話には、どの場面にも一貫して「人を見て、動く」という姿勢がありました。
華やかに見える職業の裏で積み重ねてきた経験や判断力は、 いま、若者と向き合う仕事の中にも確かに繋がっています。

YUIさんの話を聞いていると、「人を見る力」がすべての土台にあるのだと感じます。35年間の空の経験を経て、いまも地上で“人”に向き合い続けるYUIさん。そんなプロフェッショナルなYUIさんに、不祥KAYA、これからもついていきたいと思います…!

Kaya

ある時はオフィスレディ、ある時はパン屋のオヤジの中の人、その正体は人よりちょっぴりたくさん食べる、元文学少女(諸説あり)。純然たる米派、和菓子派だったがパン屋に入るようになってから完全に嗜好も小麦に浸食されつつある。たまにハードめのパンが食べたくなって他店に浮気しているのはここだけの話。